KANON二次小説

    『翼なき者達への前奏曲』

              

 

 

 

「憐れだな………」

 

その少年を見下してアウエルは呟く。

 

「だから下らないといったのだ」 

 

天使アウエルはその翼を羽ばたかせながら

嫌悪を隠そうともせずに吐き捨てる。

 

「リアエル、そなたの計らいすべては無駄だったな」

 

アウエルは傍らの中空に佇んでいたリアエルにそう言い放った。

リアエルはただ悲しそうに少年を見つめているだけだ。

 

「まだ、わかりません………」

「まだだと?この状況のどこを見ればそうなるのだ?」

 

アウエルは怒りをこめた瞳でリアエルを睨み付ける。

 

「そなたの無駄な処置により少なくとも一つは救われた彼女らの魂は全て失われる」

「………」

 

黙っているリアエルになおもアウエルは言い続ける。

 

「あの少女に神の奇跡を与えたまではよかった、だが!!」

 

眼下にある光景をアウエルは指し示す。

 

「見よっ!!すべては最悪の形で終わろうとしている!時を止めた少女は魂を失いかけて、脆弱な身で生まれた少女はそのその強き魂との反発によりその命の灯火は最早消える寸前だ!その命と記憶を代償に新たに転生した少女は仮初の命により魂を維持できない!」

 

悲しみを瞳に宿しリアエルはなおも黙っている。

 

「己が力に振り回されし少女は永遠の輪廻のなかだ!終わることのない魔物との戦いというな!!」

 

そしてふいにアウエルの声が小さくなる。

 

「そのうえ、奇跡を与えられたあの少女ですら………。

全ての魂を救おうとして………魂を消滅させた」

 

リアエルが顔を背けた。その真実に耐えられぬのだろう。

 

「これが………そなたのお節介による結末だ!!」

「申し訳、ありません………」

 

苦渋に満ちた声でリアエルは辛うじてその言葉だけ搾り出した。

 

「もはや我々にもどうすることもできない………」

無力感をかみ締めながらも、二人の天使は佇むしかなかった。

 

 

 

 

 

 

はっとして祐一は気がついた。

辺りを見回してみる。

ここはリビングのソファの上だ。

どうやら昨夜、休んでいてそのまま寝てしまったらしい。

無理もない、ここのところ全くと言っていいほど寝ていないのだ。

 

「色んな事がかさなりすぎだぜ、全くよ」

 

自嘲気味に祐一は呟いた。

もはや祐一は疲れきっていた。

それは不運が重なった、いや重なりすぎた。

なぜ、こんなことになってしまったのだろう?

ここ最近の出来事は性急すぎて祐一には事態の把握すら許していない。

まるで意図的な何か―――それこそ『神』のような者の仕組んだことのようにしか思えなかった。

いや―――もしくは悪魔かもしれない。

それほど、祐一をとりまく環境は常軌を褫奪していた。

真琴、舞、佐祐理さん。

栞、名雪―――そしてあゆ。

辺りにあった幸せは全て消えた。

全ては不幸に流されて行ってしまった。

ただそれでも祐一は何かできると信じてあがいていた。

そのせいで眠れなかった、というのもある。

いや―――実際は眠るのが怖いためかもしれない。

自分が眠っている間にすべてが終わってしまうのでは?

そんな恐怖が祐一を支配していた。

 

「さて名雪に飯つくってやるかな、おっと真琴にもだな」

 

苦笑いして祐一は台所に歩いていった。

 

 

 

 

それをアウエルは見ていた。

 

「あの少年もだめかもしれぬ………」

 

人間は身近な人間の死には敏感だ。

たった一人の死でも魂を壊してしまうほど脆く儚い。

それがあの少年には一気に起こっている。

大勢の命の死が彼の魂を狙っている。

 

「あの少年には確かに少女たちを救う力があった。

そのためのこの末路か、皮肉が利きすぎている。哀れだ………」

 

祐一と言う少年にはあの傷ついた運命に縛られる彼女達を解き放つ力があった。

しかしそれは全力を出し切っても、たった一人救えれば良いほうだったのだろう。

人間の力などではその程度なのだ。

天使ですら救えない者があるのだから。

 

「逆にあの少女たちに魂を侵食され――いずれ壊れるか死す」

「そんな!?」

 

リアエルはすがるような目でアウエルをみる。

 

「すでに手後れだろう………。リアエルよ、覚えておくがいい。

我ら神の使い、天使とてすべての人間を救えるほど万能ではないのだ」

 

リアエルを制してアウエル淡々と話す。

 

「もう終わってしまったのですか?

このまま彼には救いはないのですか……」

「それこそ、神のみぞ知ることだろう」

 

己が主人に願いを込めてそうアウエルは言った………。

 

 

祐一は恐ろしく冷えた廊下にいた。

それは決してそとに降り積もる雪のためだけではないだろう。

 

「名雪。開けてくれ、飯だ」

 

ドアに向かって、そう言った。

実際にはそのドアの向こうにいる人物に。

 

「いらない」

 

もういつもの反応とかしてしまった返事だ。

――――――秋子さんが事故に会ってから。

もはや三日以上名雪は何も口にしていないはずだ。

 

「食わなきゃ死んじまうぞ、名雪」

 

拒絶の言葉を与えられながらも祐一は懸命に話す。

 

「いいよ、死んでも。お母さんがいないんだもん、死んでも良いよ………」

「馬鹿やろう!!そんなこと!そんなこというんじゃねぇ!!!」

 

爆発的に高まった感情による怒声が廊下に響く。

 

「秋子さんが!!秋子さんが………」

 

しかしそれも段段と声は小さくなり

 

「秋子さんが――――悲しむだろ」

 

最後には消えるように呟かれた。

数秒間の沈黙。そして帰ってきた言葉は

 

「お願い、一人にして………」

 

拒絶。

祐一は泣き声のするドアの前でただ立ち尽くしていた。

 

 

暗い部屋に少女はいた。

何をしているわけでもない。

ただそこにいた。

母親の死に怯えながらただ彼女は何もせずにじっとしていた。

 

「ごめんなさい………」

 

リアエルはその少女にそうすることしかできなかった。

ただ許しを乞うしかなかった。

名に雪を持つ少女は魂すらも雪のようで―――儚く消えてしまいそうだ。

今の彼女は夏に降った雪のよう。

淡く――――綺麗に水になる。

雨とは違う形を作っている雪は灼熱の運命の業火に焼かれては、その姿を保てない。

雪死して水となる。

水、雪に似て非なるもの。

彼女の冷たさは失われてしまったら彼女はもう雪ではないのだろう。

彼女の冷たさは―――今、病院のベッドの中である。

雪が雪であるがための冷たさは彼女を凍らせてくれる確かな物なのだ。

人は様々な形をしている。そして雪のような脆さを持つ彼女には母という冷たさが必要だったのだろう。

悲しいのはそれだけしか彼女を保つ物が無いことだ。

自分を保つ支えを失ってしまったら人は自己を保てない。

果たして―――彼女は雪でいられるのか?それとも水となってしまうのか?

リアエルは自分がその業火の運命を与えたのだと激しく後悔しながら少女を見ていた。

ふと、少女は顔を上げた。

まるでそこにリアエルが見えているかのごとく。

ただ空を見つめていた。

リアエルもそれを見つめていた。

融けていく雪を。

それしかできなかった。

 

 

 

一方そのころアウエルは病院にいた。

そこに横たわる一人の女性の前に。

 

「頑張ってくれ。そなたが死ねばそなたの娘は―――」

 

なんという無力さだろう。人間を正しく導く天使たる自分さえ運命には逆らえない。

 

「神よ、私はあなたを残酷だとおもいます」

 

痛々しい怪我のある女性に、だが本当は神にそうアウエルは話し掛けていた。

その女性の魂は傷ついている。これでは生存することは難しいかもしれない。

そしてこの女性が死んだならあの少女、名雪という名前の少女も死んでしまうだろう。

支えを失った人間が後を追うように死んでいくのをアウエルは嫌と言うほどアウエルは見ている。

「哀れだ。この者も、あの少女も、ほかの少女たちも」

瞳を閉じてもう一つ呟いた。

 

「そしてあの少年が何より哀れだ………」

 

 

 

「真琴、ご飯だ」

「あうぅ………」

 

食事を名雪の部屋の前に置いてきた後に、祐一は真琴の部屋に来ていた。

意識が朦朧としているのだろう。

虚ろな瞳で真琴は答えた。

 

「無理するな。寝てろ」

 

あうぅぅぅ、と布団から這い出そうとしている真琴を静かに寝かせた。

真琴は謎の幼児化、そして原因不明の高熱にかかっていた。

熱はあいかわらず下がらない。もう三日もの間、真琴を苦しめている。

秋子さんが事故に遭ったあの日以来ずっとだ。

名雪は部屋に閉じこもってしまっている。

結果として毎日祐一が看病をしている。

薬を与えて、食事を作り、体をふいてやり着替えを手伝う。

病人の看病とは想像以上に過酷なのだ。

 

「ん、氷枕とけたみたいだな………。変えてくる」

 

そう言って部屋を出ようとした祐一だったが弱々しい感触が袖を掴んでいた。

 

「あうぅ………」

 

それはまるで置いて行かないでと縋るようであった。

真琴の瞳は見捨てられる者が見せる怯えでいっぱいだった。

 

「大丈夫だ。すぐ戻るから………」

 

祐一が優しく頭を撫でてやる。

だがそれでも真琴は袖を掴むのを止めようとはしなかった。

 

「真琴………」

 

強く引っ張ると真琴も必死に両手で掴んでくる。いつまでもぐずる真琴を祐一はあやしていた。

 

 

 

 病院から戻ったアウエルは静かに二人の人間に見入っていた。

 

「アウエル様……」

「なんだ?」

 

同じようにどこからか転移してきたリアエルは怯えながらアウエルの名を呼んだ。

 その瞳がまるで千年来の仇を見るような目つきであったから。

憎悪に魂を焦がしているようなアウエルにリアエルは問い掛けた。

 

「なぜあの少女はあそこまでするのでしょう………」

 

アウエルは黙っていた。

そして躊躇うように静かに話し始める。

 

「昔のことだ、ある天使が一匹の狐を見つけたのだ」

 

急に話し始めたアウエルに戸惑いながらリアエルは話に聞き入る。

 

「その狐はな、人間にあこがれていたのだ。いつも人間を遠くで見ていた。

それを哀れに思った天使はこう言ったそうだ。

『お前の大切なものを神に捧げなさい。そうすれば人間になれるだろう』

愚かだったのだよ。その天使は。所詮狐だ。大切なものなどたかが知れていると。

だがな、その狐が出したものは命と魂の記憶だった。

今まで生きてきた命と人間にやさしくされた魂の記憶。

それを差し出してしまったのだよ。

愚かだったのだ、天使も狐も。

結局その狐は命と魂の記憶により人間になり、そして仮初の命しかないため死んだ。

しかも魂がないため

天にもいけないまま無の世界にいってしまったよ………」

 

少女を見つめながらアウエルはそうしめくくった。

 

「でもなんであの少女も人になれたのですか?」

「前例ができたことで人間になることは不可能ではなくなったのだ。信じればどの狐にもできるようになったのだ。」

 

アウエルは自身を愚かだと思った。

昔自分があの狐に余計なことをしなければその後の狐たちも魂を消さなくてすんだのだ。それを思うとどうしようもなく自分が愚かに感じた。

ぐずる少女とそれをなだめる少年、その光景を見つめ何もできない天使たち。

いったい誰が一番愚かで罪深いのだろうか?

きっと、その問いは誰にも答えられることは無い。

すべてが愚かに見えてしまうこの世界で誰がそんなことを答えられるのだろうか。

愚者の演奏は今始まろうとしていた。

前奏曲は鳴り響く。

すべての愚かな者達のために―――。

 

 

 

 

 

「ん、もう朝………か?」

 

真琴をあやしているうちに寝てしまったらしい。

刺すようにもう朝日が部屋に入り込んできている。

 

「スー、ス−」

 

少しは熱が下がったのだろうか? 

真琴は穏やかに寝息を立てている。

 祐一は手を静かに真琴の頭にのせて優しく撫でた。 

愛しさが湧き上がるのを噛み締めてから静かに立ち上がり

学校に行くための準備をする為に名残を残しながら真琴の部屋を後にする。

自分の部屋に戻る前に名雪の部屋の前に立つ。

そこには昨日のままで夕食があった。

それを見た後に静かに自室のドアを開け学校の準備を始めた。

名雪の部屋は隣なのに物音一つ聞こえはしない。

静寂が―――以前との違いが祐一には痛かった。

一通りの準備を終えた後に祐一は名雪の部屋の前に再度立つ。

 

「名雪…………」

 

返事はない。祐一もあまり期待していない。

ただそれをしないと何かが終わってしまう気がするだけだ。

 

「いってくるよ、名雪」

 

名雪と真琴の分の朝食を作って祐一は家を後にした。

家を出た後に雪を踏みしめる音が

今日聞いた音の中で一番大きい音だと気が付いて

 祐一は静かなため息を吐いた……。

 

 

 

外を祐一が歩いていく。

窓からその光景を見ていた名雪はゆっくりと窓から離れてドアへと向かう。

 

「……………」

 

静かに怯えながらドアノブに手を握る。

部屋の外に誰かがいる事が怖いのではない。

誰もいないことが怖いのだ―――。

優しく微笑む母がいないのが怖いのだ。

部屋の外に出て母がいないのを実感することはどうしようもなく悲しかったが

それでも、母がいるかもしれないという思いに勝てずに彼女は

いつものようにドアを開けた。

 

「えっ………」

 

カチャンとドアに何かがぶつかる音がした。

廊下にあったそれは祐一が作った朝食の食器だった。

朝飯はトースト、コーヒー。そして

 

「お母さんの―――ジャム」

 

それは秋子が作ったイチゴジャムだった。

数秒間、動きを止めた名雪は廊下の床に座り込む。

そして名雪はそっと手を伸ばしジャムを手にとった。

ゆっくりとその蓋を開ける。

スプーンにジャムを取って香ばしく焼けているパンにつけてそれを口に運んだ。

 カリッと甘く口にその音が響いた。

 

「……………」

 

何と言うことはない普通の、『いつも』の味なのに。

おいしいと心から感じた。

そしたらどうしようもなく、あのやさしい母親の顔が思い浮かんだ。

唐突に、世界が沈むほどの涙が視界を覆っていた。

 

「おかあさん、おかぁあさん………」

 

涙があふれだしてきた。とまらなかった。

次々と出てきては頬を濡らす。

 

「おかぁさん、おかぁさん………」

 

ずっと今まで支えてくれた者の名前を呼ぶ。

母が居なくなってしまったこの家で

今までは居なくなったことに涙した。

今はそれでもここに居てくれたことに涙している。

 

「あぅぅぅ………?」

 

いつのまにか名雪の前には真琴がいた。

心配そうに名雪を見つめていた。

そして名雪の頭を胸に抱き、

撫でてくれた。

 

「う、うわぁぁぁぁぁぁん!!!」

 

泣きじゃくる名雪を真琴は撫でていた。

その悲しみが、消えることを思いながら。

真琴は自分が泣いてる時にはこうしてもらうと

安心することから名雪を抱きしめていた。

そして優しく撫でてやった。

いつも祐一がしてくれるように――――。

祐一の想いは真琴を通じて伝わっているのかもしれない。

祐一に想いは真琴の想いとなって名雪へと渡される。

想いは流れていく。

いずれ名雪も想いを渡す日々が来るのだろう。

だが―――今だけは名雪にだけ想いが留まってほしい。

想いが総てを包んで癒してくれるまで。

 

 

 

      

「はぁ………」

 

一人での登校は憂鬱だった。

祐一が今直面している事実、それを嫌にでも思い出させるから。

明るい天気でさえ祐一を暗くさせていた。

 

「相沢君」

 

ふいに後ろから呼ばれる。

 

「ん?ああ、香里か」

 

振り返るとそこには香里がいた。

表情は暗い。

あたりまえだ。今、栞は命の瀬戸際にいるのだ。

姉の香里としては一睡もできないであろう。

 

「どうやらその様子だと名雪はまだ駄目みたいね………」

 

いつも俺の隣にいる人物の名前を呼ぶ。

 

「ああ、まだ部屋に閉じこもっている………」

「相澤君も大変そうね………」

 

香里がそう呟くと会話が途切れてしまった。

重苦しい雰囲気があたりにただよっている。

祐一は口を開いた。

 

「栞は、どうなんだ?」

 

その質問がこの重苦しい空気をさらに増すものであっても祐一は聞きたかった。

 

「今のところは落ち着いたわ。でも………」

 

香里はうつむいた顔で言葉をとぎらせた。

 

「安心はできないって。次に発作がおきたら―――」

 

それ以上香里は言葉が出なくなってしまった。

それが意味するのは一つしかない。

 

「そうか………」

 

そういって祐一はそれを見上げた。

 

「神様ってのは、残酷だよな。」

「そうね、せめて奇跡ぐらいおこしてほしいわ…………」

 

祐一はあえて栞の言っていた言葉を言わなかった。

 

『起きないから奇跡って言うんですよ』

 

それはあまりにもこの状況には残酷だったから。

 

 

 

 

 

『神様ってのは、残酷だよな』

 

少年が空を見上げてそういったとき、

リアエルはまるで自分に向けられた言葉のように感じた。

それはまるでするどいとげのようにリアエルの胸に突き刺さり、

抜けようとしなかった。

 

「すべて私が悪いの。ごめんなさい………」

 

リアエルには耐えられなかった。

魂が壊れてしまった者を見るのも、それを直そうとして自らも魂を壊してしまいそうな者をみるのも。

リアエルは救いたかったのだ。

すべての消えてしまう魂を。

消えてしまう魂に存在してほしかったのだ。

しかしそれがいけなかった。

すべては裏目裏目にでてしまった。 

幸福にいたるまでに起こる不幸が一気に起こった。

それは幸せなど運ぶはずもなく、すべてをただ不幸にしていった。

そのためにすべては最悪の結果に終わろうとしている。

リアエルは彼女たち全員を救いたかった。

その『想い』は彼女たち全員を殺すことになる。

すべては幸福どころかさらなる不幸を作り出していく。

それは―――もう誰にも止められない。

 

「神よ、奇跡を。彼女たちに祝福を………」

 

リアエルはそう祈ることさえ怖かった。

一人の少女に奇跡を与えた。

『月宮あゆ』と言うか弱き少女に。

その少女は魂を失った。

自らの命を捨ててまで大切な人の魂を守るために。

だがそれは適わず、ただ彼女は無駄に死んだ。

それは本当に『無駄』であった。

余計なお節介に過ぎなかったのだ。

 

「神よ、奇跡を呼び起こす祝福を………」

 

それでもリアエルは祈らずにはいられなかった。

リアエルにはそれしかできないから―――。

 

 

 

「なぁ、栞の見舞いに行っていいか?」

 

それは唐突な申し出だった。

授業が終わり生徒はそれぞれの時間をすごすために教室をでていく。

そんな放課後の唐突な一言。

 

「別にいいけど、名雪はどうするの?」

 

香里はいまだ母親の事故から立ち直れない親友を心配した。

 

「ああ、俺がいてもなにもできないから」

 

祐一はうつむいた表情でそういった。

それに対して香里は鋭い視線を送ってきた。

 

「ずいぶんと冷たいのね。もうあきらめているの?名雪のこと」

 

多少、いや確実に非難の入った言葉を祐一に浴びせる。

それに対して祐一は苦笑してこう言った。

 

「今の名雪は誰にも救えない。俺にも、他の誰にもあいつが立ち直る後押しかできないんだ。あいつが、名雪が頑張らないといけないことだろう、これは」

 

そう祐一は言った。そこにあるのはあきらめではない。

きっと立ち直ってくれると言う信頼だった。

香里はその言葉を聞いて数秒間黙った後

 

「はぁ…………」

 

と小さなため息をもらした。

 

「悲しいものね………何年も名雪の親友やっているのにね。

少し前に来たばかりの相澤君のほうがしっかりしているんだから………」

「そんなことないぜ……」

 

そういって祐一はかすかに笑った。

それはここ数日間ぶりの小さいが確かな笑みだった。

 

 

 

 

 

「あ、祐一さん。お見舞いにきてくれたんですね」

 

少しだけ、本当に少しだけ元気そうな声で栞は祐一を呼んだ。

それは病院の一室、栞がいる部屋。

そこに栞は居た。

明らかに――――以前とは異なった栞が。

あれは本当に栞なのだろうか?

あの元気で明るかった笑顔も―――今は痛々しい笑みでしかない。

前々から華奢だった体も―――さらに細くなっていて無残なほどだ。

そして雪のように白かった肌は―――もう消えてなくなる寸前のようだ。

祐一はその病室に佇む少女が栞だとは信じたくなかった。

明らかに先の長くない彼女を栞と認めることは

栞が死ぬと言う事実まで受け入れてしまいそうで

祐一は恐怖を感じた。

 

「久しぶり、相変わらず能天気そうだな」

 

つい、口から漏れた言葉。

後からそれを後悔した。

 

「もう、そんなこと言う人きらいですよ」

 

帰ってきたのはいつもの言葉。

栞の―――『ことば』

確かに彼女は栞だった。

何度も聞いたその言葉。

ただ今回は――――儚く思えた。

消えていってしまう者は言葉まで儚くなるのか。

外には雪が降っていた。

それは白く、白く……美しくて、それゆえに儚くて、脆く感じてしまう。

そして栞はその危うい中の美しさに霞んでしまいそうだった。

ふと―――祐一はそんな風に思ってしまった。

栞があまりにも――――命を感じさせなかったから。

 

「駄目よ、栞。寝ていないと」

 

香里がそっと栞に近づいた。

その手で慈しむように栞を横にさせた。

 

「だいじょうぶだよ、お姉ちゃん」

「それならいいけど」

 

複雑な表情を見せる香里。

その心中を察することなどできない。

止めることのできない愛しき者の崩壊を見守ることしかできない苦痛はどう例えればいいのだろう?

それは身を幾千、幾万に切り刻まれるよりも辛いことだと思う。

少なくとも七年前の無力な自分は死にたいくらい辛かった。

死んだほうが楽なくらいであった。

香里も―――そうなのだろうか?

 

「お姉ちゃん、祐一さんと二人だけにしてくれないかな」

 

そっと栞が言葉を漏らす。

香里はじっと栞を見つめ――――。

 

「相沢君、栞をお願い」

 

そういって出て行った。

ばたん、とドアが閉まる。

そして病室には二つの魂が残った。

いずれ壊れてしまう魂と―――

まもなく消えてしまう魂が―――

互いを想いながらその病室に残った。

 

「祐一さん。ありがとうございます」

 

唐突に栞は祐一に話し掛けた。

 

「祐一さんのおかげでお姉ちゃん、元気になりました」

 

かすかに栞が笑顔を浮かべる。

 

「私のせいでお姉ちゃん苦しんでいたから………」

 

なおも栞は言葉を紡ぐ。

 

「それを直してくれてありがとうございます」

「たいしたことなんてしてないぜ」

 

目の前の少女に諭すのかのように祐一は言った。

それに対して栞は小さく首を振った。

 

「もし、祐一さんがいなかったら。そのまま私が死んでいたら…………。

お姉ちゃんは駄目になっていたから………」

 

少女は。

この悲しい強さと弱さを持つ少女は。

自分が死ぬと言う事実を知りながらも

それでも姉のことを―――思っていた。

 

 

「それは…………」

 

祐一は反論したかった。

だけど―――そんなことできるはずがなかった。

なにもかも悟っている賢者に愚者は何も言えなかった。

 

「祐一さんがいるから、お姉ちゃんはきっと大丈夫」

 

祐一の目をまっすぐ見る栞の瞳は澄んでいて………悲しいくらいだった。

 

「お姉ちゃんをよろしくお願いします…………祐一さん」

 

そこに、そこにいたのは聖母なのだろうか?

それを錯覚させるほど栞は強かった。

神とは不公平であった。弱き体に強き魂を与えたのだから。

深々と――――雪は降っていた。

祐一はただ意味もなく降る雪を見つめながら栞に話し掛けた。

 

「前に栞は言ったよな………奇跡って言うのは起きないから奇跡と言うんだって」

「はい、そういいましたね」

「俺は違うと思うんだ。起きないと思っているから起きる。これが奇跡なんじゃないかって………」

 

くすりっ、と栞が笑った。

 

「だから栞は起きないと思っていろよ、案外そんな時こそ神様の意地悪で奇跡は起こるもんだからさ」

 

栞は目の前にいる愛しき少年に微笑んだ。

その優しさに微笑んだ。

包み込まれるようなその暖かさはこの冷たい雪の中でこそはっきりと解る。

死に近い栞だからこそ解るその優しさの価値だった。

 

「まぁ俺は奇跡は起こるって思ってやるよ」

 

とたん栞はむすっとして

 

「そんなこと言う人嫌いです………」

 

と言った。

 

「ははっ、ごめんごめん」

 

いつもの、日常に、祐一は笑った。

その何物にも代え難い幸せをかみ締めながら。

 もう消えてしまうかもしれないものを惜しむかのように―――。

 

 

 

 

「相沢君………」

 

病室のドアのそとで香里は栞と祐一の会話を聞いていた。

 

「ありがとう……。」

 

心の中で香里はそう呟いた。

 

「少なくとも、あなたに会えたことはあの子にとって意味があることだわ………」

 

 

 

 

 

 

 

香里達と別れた後、祐一はある病室のドアの前で佇んでいた。

そこにある面会謝絶という文字はまるで一切の希望を許さないようであった。

それを見た祐一はそれを叩き折りたい気持になった。

同時にその病室の人物顔を少しずつだがはっきり思い出せなくなった自分も叩き折りたかった。無意識に拳に力がこもっているにことに気が付き緩める。

 

「頑張ってください」

 

誰かに、いや誰にでもないのかもしれない。

うつろな目で祐一はそう呟いた。

 

「でないと、名雪が………」

 

そういってドアに背を向けて

 

「駄目になりますから」

 

つぶやいた。

その病室にはこう書かれた名札もかかっていた。

『水瀬秋子』と。  

その名にどれだけの希望がこめられているのか知らずに

ただ名札は平然とかかっていた。

 

 

 

 

それは運命だった。

そう―――悲しき、空しき、記憶の奥底に押し込められてしまった運命。

押し込められたはずの別れの記憶は再会により復活して――そしてまた消えた。

二度目の別れはもう確かな物で、決して変わることが無いと思っていた。

だけど―――。

祐一は何気なく廊下を歩いていたのだ。

そしてそれを見つけた。

それは幸運だったのか?それとも不幸だったのか?

それは神の慈悲か?それとも悪魔の悪戯か?

それらは結局意味をなさない。

ただ残るのは祐一がそれを見つけたということだ。

『月宮あゆ』というただの名札を。

 

「うそ………だろ?」

 

祐一は目を疑った。

七年前この町で出あった少女。

愛しい思いと悲しき記憶をくれた少女。

すでにこの世から消えてしまったと思っていた少女。

そこにはその名があった。

ふらふらっと祐一は開いているドアから病室の中に入る。

そこには一つのベッドがあった。

きちんとシーツがかけられてそこには規則正しい寝息が聞こえていた。

全く汚れていない、しわもないシ―ツ。

それが意味するのは………。

 

「植物状態なのか………?」

 

人間は植物状態では寝返りはしない。

それは寝苦しいと感じないのだ。

寝苦しいとは脳が苦しいと感じるから。

そして植物状態とは脳は―――活動していない。

まるで―――体という命が残って、心という魂の抜けた人形のようだった。

 

「生きていた、生きていたんだな………」

 

あゆ。

切なく悲しく………その名前は呟かれた。

七年前の………再開の約束は………今本当に果たされた。

呆然とたちつくす祐一。

あゆは祐一がいることに関係なく、ただ―――呼吸だけをしていた。

 

 

 

 

 

「君は誰かな?」

 

呆然とあゆのベッドの前に立ちすくんでいた祐一に少々年をくった声がかけられた。

振り返るとそこには40代後半だろうか?それくらいの中年男性がいた。

 

「うちのあゆの………知り合いかね?」

 

そっ、と祐一の横に並ぶ。

 

「あ、その…………小さいころの」

「ほぅ………」

 

中年男性は祐一の顔を覗き込む。

 

「もしかして祐一君かい?」

 

その言葉に祐一はあゆの父親の顔を凝視してしまう。

外は雪はもう止んでいた。

そして空は悲しく晴れていた。

暗い空に星を輝かせながら。

それはまるで天で泣く者たちの―――悲しみの涙のように。

 

 

 

 

「そうか、君も大きくなったね………」

 

ああ、お父さんの声だ。

ここはどこかな?わからないよ………。

 

「君は引越ししてしまったときいたがな………」

「最近、もどってきたんです……」

 

あ!この声は!この声は………。

僕の大切な人。

愛しい人。

僕が苦しめてしまった人。

すぐそばに、すぐそばに―――。

夢の私じゃない私の近くに、祐一君がいる……。

 

「俺は………俺は………」

「うん?どうしたんだい?」

 

どうしたんだろう?祐一君。くるしそうだよ?

どうしたの?どうしたの?

すごく苦しそうだよ?

 

「俺はあゆのことを忘れていたんです…………」

 

祐一………君?

あ、そうか。だからなんだね………。

だから迎えにきてはくれなかったんだね。

僕がいくら待っても。

その思いが届くことは無かったんだね?

そっか………。

僕は祐一君の心の中にはいなかつたんだね?

僕は―――。

僕は―――。

さびしかった。

だから夢をみたんだよ。

祐一君と再会して。

祐一君と遊んで。

祐一君と鯛焼きを食べて。

祐一君と―――――――。

それをずっと待っていたよ。

来るはずのない夜明けを、

かなうはずの願いを、

僕は夢を見ながら………ずっと待っていたよ………。

祐一君。

でも。

でもそれは………。

それは無駄だったんだね………。

うぐぅ。

だって祐一君の心の中には。

僕はいなかったんだもんね。

ごめんね…………。

僕が夢以上のこと望んだから…………。

祐一君に悲しい思いさせちゃったね。

『祐一君を苦しめる僕は夢を見る資格すらないのにね――』

 

「ずっと俺はあゆがこんなことになったのが辛くて。

ずっと、ずっと記憶のそこに押し込めて。

俺の、俺のせいであゆはこうなったのに。

俺はあゆを忘れて………ずっと一人ぼっちにしてたんです。

のうのうと生き恥をさらしながら――――」

 

祐一君………。

泣かないで、僕のことでなんかで泣かないで。

 

「俺は最低なやつです」

 

祐一君………。

それは僕のほうだよ…………。

 

 

 

「そうか………」

 

あゆの父親は祐一を見た後大きく息を吐いた。

祐一は待っていた。

罵倒を、非難を。

祐一は傷つけられたかった。

自分が、許せなかった。

あゆをこんなふうにした自分がのうのうと生きていることに。

何も知らずに、いやなにもかも忘れて生きてきた今までの自分が許せなかった。

祐一は激しい自己嫌悪に陥っていた。

しかしその祐一にかけられた言葉は――――。

 

「そんなにきみは悪いわけじゃないさ………」

優しい瞳であゆの父親はそういった。

「え?」

祐一は絶句した。

 

その言葉は非難ではなく慰めだったから。

 

「で、でも俺は!!」

「祐一君」

 

優しい瞳をしてあゆの父親は祐一の言葉をさえぎった。

 

「私は君を恨んではいない。むしろ感謝すらしているんだよ」

「な、何でですか!?」

 

祐一は困惑の表情を浮かべる。

あまりにもその言葉は傷つけられることを期待する祐一にとって意外であったから。

 

「私はね………、妻が死んだときにあまりに悲しくてね。

あの子にかまっていられなかったんだよ………。

情けない話だよ、親の私のほうがショックを受けていたのだから」

 

祐一はあゆとであった時のことを思い出した。

あゆは駅前のベンチで泣いていた。

たった一人で。

泣いていた。

 

「私は妻の死を紛らわせるために仕事に打ち込んだ。

それはこの子のことをきれいに忘れてしまったほどだったよ。

このこがどれだけ傷ついたか―――まったく考えなかった」

 

優しくあゆの頭を撫でながらあゆの父親は語る。

 

「そうしてこの子があの事故に遭った。そのとき痛烈に思ったよ。

『私はこの子をほっておいて、いったい何をしていたんだ………』とね」

 

祐一はその気持ちが痛いほどよくわかった。

なぜならばそれは祐一が今感じていることだから。

 

「あゆはあまりに傷ついて夢の世界にいってしまったと思ったよ………。

私があゆを癒してあげなかったから。

そのためだと思った。

でもそこに君はいてくれた。

あゆは君に癒された。

それが私の救いだ。

愚かな父親のせめてもの希望なんだよ。

いつの日かあゆが帰ってきてくれるかもしれないという希望なんだよ………。

そしてその希望を作ってくれたのは君だ。

本当に感謝している」

 

辺りは静かだった。聞こえるのはあゆのかすかな呼吸だった。

あゆが生きているというちいさな証だけだった。

だが―――確かな証でもあった。

 

 

 

 

魂のかけら。

あゆはもはやこの世に存在していない。

あるのは月宮あゆだった者のかけらだけである。

それは奇跡の代償。

そう、無駄な奇跡の代償。

そして―――あゆの魂もまた無駄に使われた。

際限なく。

無駄に。

そしてあゆは消えた。

無に帰った。

リアエルはこの少女に奇跡を与えたことを悔やんでいた。

そして知った。

優しい奇跡など――――絶望しか生まないと。

 

「私は…………。私はいったいなにをしたのでしょう?」

 

それは誰に問いかけているのだろう?

アウエルは少なくとも自分にではないとおもっていた。

いや何者にでもないのかもしれない。

 

「出来事の結果をみなければ………なにをしたのかなどわからんさ」

 

はるか上空に佇む天使たちはすべての結果をみるべくそこにいた。

眼下を見下ろせば明るい町の光が空を照らしている。

本当に希望の光を照らすべきところに照らさずに。

(まるで私たち―――天使の行ないのようだな)

すこし自嘲気味に呟いた。

眼下の絶望を見つめてそう静かにそう言った。

 

 

 

 

「…………」

 

祐一は病院の帰りにコンビ二によった。

すぐに帰って寝たかった。

この現実から逃げ出したかった。

だが………その足は自然と学校に向かっていた。

 

「俺もつくづく…………馬鹿だな」

 

空は暗く、黒く。地面は明るく、白く。

少女が待っている場所へと続く道を祐一はしっかりと踏みしめていった。

 

 

 

 

月明かりが…………照らしていた。

その少女のことを。

それは優しい祝福なのか?

それとも罪びとを照らす印なのだろうか………。

川澄舞はそこに立っていた。

少女が望むのはただ一つ。

魔物を狩ることのみ。

その目的は記憶の底に沈んでしまった。

もう、今は魔物をただ狩ることだけが――――目的。

「舞」

少女は手にした剣をその声の方向に向ける。

そしてすぐ戻す。

 

「今日はサンドイッチだ。紅茶もあるぞ」

 

祐一は手にした袋からそれらを取り出す。

 

「牛丼がよかった…………」

 

表情を変えずに少女は言った。

祐一は苦笑して

 

「また、今度な」

 

と呟く。

そして二人はサンドイッチを食べはじめる。

ただ黙々と…………。

 

 

 

 

「祐一」

 

すっかり食べ終わったあとで舞が話し掛けてきた。

 

「祐一は、今日はいつまでいるんだ?」

「ん、あとすこしはいる」

「そうか」

 

ただ頷いて舞はまた視線を戻す。

 

「魔物は…………でたか?」

 

多少言いづらそうに祐一は話し掛けた。

 

「あの日から出てない」

 

あの日とはさゆりさんが魔物に襲われた日でもある。

そして秋子さんが事故に会った日でもある。

 

「そうか」

 

それだけ言ってまた祐一も視線をもどす。

あとは静寂だけだ。

暗い学校の廊下には月明かりだけしかない。

だがやけに舞の持つ剣に反射してまぶしかった。

まるでその剣の持ち主の殺気を示すのかのように

 

「なぁ、舞」

 

その殺気に怯えたわけではないが沈黙が怖かった。

まるで剣と同化してしまったのかのような舞が。

 

「明日あたり佐祐理さんのお見舞いにいかないか?」

 

ピクッ少しだけ舞の眉がゆがんだ。

そして数秒の後出た言葉は

 

「ポンポコ狸さん」

「それはこういうときにつかうな………」

 

脱力しながら祐一は舞を見つめる。

 

「なんで嫌なんだ?」

「私は………」

 

舞は祐一から視線をそらす。

 

「怖いのか?」

 

舞の体が一瞬震えた。

微かなその動揺はもはや確実にその感情を肯定していた。

 

「佐祐理さんの反応が怖いのか?」

 

信じている者に拒絶されるのは辛いことだ。

それをよく知っているのは―――この場所にいない青い髪の少女であったが。

 

「そんな心配することないだろ?」

 

祐一が舞の肩に手を置く―――舞の肩は震えていた。

 

「そうじゃない………と思う」

「じゃあなんでだよ?」

 

舞はそらしていた視線をゆっくりと祐一に戻す。

そして数秒の後に

 

「私は魔物を狩るものだから」

 

そう、言い放った

 

「舞………」

「私はそれしかできないから………」

 

それが意味するのは。

復讐。

佐祐理さんを怪我させた復讐なのだ。

祐一はなにもいえなかった。

あまりにも舞の表情がカナシソウだったから。

 

「祐一、佐祐理をお願い」

 

学校という戦場に立ち、魔物という敵を倒すしかない少女。

哀れな少女の名は―――川澄舞。

魔物を狩るもの。

川澄――――舞。

 

 

 

 

 

すべては絶望しかないのか?

あるいはこれが運命なのか?

他者を犠牲にすれば救われたであろう。

なにかをすてていればすべてを失うことはなかったかもしれない。

だがもう遅い。すべてはもはや消え行くのみだ。

さぁ、運命の輪は回っていく。

さぁ、すべては消え去る。

さぁ、すべては終わる。

さぁ、すべては虚無に帰る。

ただ一つの希望を残して。

それが絶望の中のくもの糸。

その希望の名は。

奇跡と言う名の………約束。

 

    

          翼なき者達への前奏曲 終

       次回 想いに捧げる鎮魂歌 に続く 

 

 

 

次回予告

 

 

「なんで私はまたここに来るのでしょうね………」

 

天野美汐誘われるが如くものみの丘に来ていた。

そこは悲しき獣たちの住処であった場所だ。

 

「命よりも切実に望むものは何なのだろうな…………」

 

罪人、アウエルはその身を切る思い出でそこ立ち尽くす。

 

「あう…………」

 

 そして忘却の涙を流しながら消えていく真琴。

 

「手後れになんてしねぇ!!絶対させねぇ!」

 

 祐一は駆ける。

 その舞台へと。

 そして最後の役者も揃う。

 

     その鎮魂歌は誰がために奏でられるのか?

 

 

次回「想いに捧げる鎮魂歌」

 

「どうにか………ならないのか?」

「……………なりません」

                   

ご期待を